史事解説4


正始政変

 正始10年(事件後、嘉平と改元)に起こった、一般的には司馬懿のクーデターとされている事件。曹爽・曹羲兄弟及び夏侯玄を中心とする曹爽派と、司馬懿を中心とした地方の名族・名士からなる反曹爽派との間で起こったこの事件の発端は、九品官人法の制定であり、その末尾は諸葛誕の乱にあるとも言える。

政変そのものは、正始10年正月、曹爽らが天子を奉じて高平陵に詣でた機に際して、司馬懿ら反曹爽派が挙兵して曹爽派を誅殺したことをさす。(なお、術語「正始政変」は一般的な用語ではないが、『中国史における乱の構図』(筑波大学創立十周年記念東洋史論集)に収録された伊藤敏雄氏の『正始の政変をめぐって』という論文のタイトルに由来して用いています)

 その背景については異論が多く、曹氏から司馬氏への権力移動という表面的な部分の他にも、これまで既得権益を持っていた名士階級に対し、反門閥者で血縁関係を持ち結束を図った曹爽派の対立など、色々な側面を持つ。

 これら一連の事件の中、九品官人法は「州大中正」の設置に伴い、地方名士のみに道を与える制度となり、所謂六朝貴族制社会の始まりとなった。

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