嬴疾(えいしつ)

 秦の丞相。秦の恵王の弟。樗里子(ちょりし)、厳君疾とも。

 恵王の八年、右更の位にあった嬴疾は大将として魏の曲沃城を攻め城を奪い、曲沃を秦の領土とした。その後も趙や楚を攻め、秦の版図を広げ、封ぜられて厳君とよばれた。

 恵王がなくなり、武王が即位すると、嬴疾は右丞相に任ぜられた。

 屋敷が陰郷の樗里にあったため、樗里子と呼ばれていた。また、智恵がおおく口が達者であったため、智嚢とも呼ばれた。

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衛州吁(えいしゅうく)

 衛の荘公(衛揚)の庶子。桓公(衛完)の弟。

 荘公に寵愛され、傲慢でわがままであった。

 やがて桓公が即位すると職権を取り上げられたため、他国に出奔した。やがて帰国すると、桓公を殺害して国君となった。

 宋、陳、蔡とともに鄭の東門を攻めたが失敗し、石碏の策により陳で処刑された。

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袁術(えんじゅつ)

 東漢末期の諸群雄の一。東漢の司空袁逢の子。

 董卓が少帝を廃する際に後将軍に任ぜられたが、害を恐れて南陽に逃亡した。長沙太守孫堅が南陽太守張咨を殺害すると、実質的に南陽郡を支配するようになった。

 奢侈荒淫が激しく、後に皇帝を僭称するとさらに激しくなった。呂布の軍や曹操軍に攻められ袁譚のもとへ逃れる途中で病死した。

 袁氏による天下を夢見た袁術と、あくまで劉氏を立てようとした袁紹との対立は激しく、その兄弟(正しくは従兄弟)喧嘩は、劉表や呂布ら周辺諸群雄を巻き込み、両陣営に分かれた抗争が行われたが、約を違えることも多く、結局身を滅ぼすこととなった。

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